ナポリを見たら死ぬ

南イタリア、ナポリ東洋大学の留学記。なお実際にはナポリを見ても死ぬことはありません。

ナポリ、完全におしまい

 

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ちなみに、レストランやバーの営業時間は6〜18時までに制限されているのだが、宅配は18時以降も可能である。つまり18時以降もピッツァのオーダーができる。希望もあるということ。

前回の記事でぼくはこう書いた。レストランの営業時間は制限されているが、日中は開いている。さらに、制限時間外であってもピッツァのオーダーができる、と。

3月12日、イタリア全土でレストランやバーなどが完全に休業することになった。首相令によるもので、スーパーマーケットや薬局など生活必需品に関わる商店の営業を除いて、商店の営業が禁じられたためだ。しかし、首相令では宅配は禁じられていない。つまり、UberEatsなどでピッツァの宅配を頼むことは可能だ、ということ。

ところが、ナポリのあるカンパニア州はさらに一歩踏み込んだ。カンパニア州知事は馬鹿なのだろう。首相令のあと、州知事令で宅配をも禁じたのである。曰く、梱包された商品の配送は認めるが、その他は認めないということである。おわかりいただけるだろうか?そもそもピッツェリアは営業できない。それゆえ店に赴いてピッツァを食べることはできない。ほかの州であればしかし、それでも宅配ピッツァを頼むことができる。ところがナポリでは、宅配ピッツァすら頼めないのである。ゆえにナポリピッツァを食べることはできないのである。

 

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せめて最後の最後までナポリのピッツェリアが封鎖されないことを祈っていたが、もうすでに営業時間が制限されているし、ピッツァが食べられなくなったらいよいよおしまい。ピッツァが食べられなくなったときナポリは終わる。そのときが本当におしまい。

数日前、ぼくはこう書いた。見事に伏線が回収された。おわりだ。本当におわりだ。ナポリは文字通りもうおしまいだ。本当にありがとうございました。

イタリア、ぶっ壊れる

そもそもほとんど何もかも閉鎖されているので行くあてもないのだが、新型コロナウイルスのせいで極力外出を控え、家に居なければいけないので、情報収集と暇つぶしにニュースで状況を追っているのだが、日々状況が悪くなっていく。

たとえば、昨日スーパーに行ってきたのだが、人が殺到しているうえに、各人が1メートル以上のスペースを確保できるように入店人数が制限されているから、スーパーまで100メートル以上も行列ができていた。

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行列

おまけに、店内ではパスタがほとんど売り切れていた。よくわからないメーカーのあまり使わない種類ばかりが残っていて、BarillaやDe Ceccoなどの有名どころのパスタは完全に消滅していた。ちなみに、写真は撮らなかったのだがトイレットペーパーもほとんど残っていなかった。トイレットペーパーを買い占めるのは日本人だけではないみたいですよ。

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パスタ売り切れ

もともと、ロンバルディア州ほか北部14県に適用されていた首相令の範囲が拡大されて、イタリア全土で移動が制限されるようになったとはいえ、ナポリはまだ感染が爆発しているわけではない。それでこの有様なのだから、"震源地"とも言えるロンバルディアはとんでもないことになっているのではないかと思う。

実際、ロンバルディアではスーパーや薬局以外を除いてすべてを閉鎖することが検討されている。

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現時点では検討段階なので、実際に適用されるかはわからないが、本当に必要最低限な食品店や薬局だけを営業させるという案だ。こんな話が出るくらいにイタリア北部は追い込まれている。おまけに、上記記事では重症患者向けのベッドを2015年ミラノ万博の跡地に設ける方向で動き始めているということまで書かれている。他の記事を読むと、どうやらロンバルディアではすでに医療機関がパンクしているようである。

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ベルガモ市長曰く、

Sembra che la crescita stia solo rallentando e invece è solo perché non ci sono più posti (se ne aggiungono pochi con grande fatica). I pazienti che non possono essere trattati vengono lasciati morire

(訳注:集中治療を施される重症患者数の)増加ペースが落ちているように見えるが、実際にはベッドがもうないだけなのです(大変な労力をかけてもほんのわずかしか増やせない)。処置が施せない患者は死ぬがままにされています。

市長がそんなに不安を煽るような発言をしていのか疑問だが、実際に年齢やほかの疾患の有病状況を踏まえて患者の選別をしている(Coronavirus, il medico di Bergamo: "Costretti a decidere chi salvare. Come in guerra" | L'HuffPost) という記事もあるし、イタリア北部はもうおしまい。これが南部にまで広まったら本当におしまい。

ちなみに、レストランやバーの営業時間は6〜18時までに制限されているのだが、宅配は18時以降も可能である。つまり18時以降もピッツァのオーダーができる。希望もあるということ。

ナポリの終わりは近い(か?)

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3月8日、新型コロナウイルスことCovid-19の感染拡大にともない、ロンバルディア州ほか北部14県が封鎖され、様々な規制が施されたと思ったら、翌9日には封鎖措置が全土に拡大された。どこもかしこも4月3日まで閉鎖だ。大学、ジム、博物館、美術館、ディスコ、スキー場等々。さらに、レストランやバールなどの飲食店の営業は6時〜18時に制限されるし、スーパーなどは営業可能だが各人が1m以上ほかの人びとから離れられるだけのスペースを確保しなければならない。加えて、不要不急な移動が制限される。鉄道や高速道路に検問が設けられ、移動に際してはその理由を自己申告する必要がある。そのための書式も配布されている。

もうわけがわからない。スーパーに人が殺到しているとの新聞記事になっていたが、実際にぼくも近所のスーパーへ行ったら店の外まで100メートル以上の行列ができていたので諦めて帰ってきた。封鎖令が拡大するという話が出る前に、「4月までの食料を買い溜めた」と言っていた同窓の中国人女子留学生が結果的に大正解だったようだ。ちなみに、彼女の話によれば、多くの中国人留学生は自国のほうが安全だというので、イタリアから脱出しているらしい。ウイルス発生当初と完全に立場が逆転した。

ところで、イタリアの感染状況は、下のマップで確認できる。市民保護局というイタリア政府の機関が公開している正式なものである。

opendatadpc.maps.arcgis.com

見れば、感染は北部に集中しているが、ナポリのあるカンパニア州も9日17時現在で累計120件の陽性者が出ている。しかし、ロンバルディアでの感染のピークが4月半ば、その後ほかの地域にも波及していくという観測(Coronavirus, il contenimento sarà prolungato - Biotech - ANSA.it)もあるし、もうおしまい。せめて最後の最後までナポリのピッツェリアが封鎖されないことを祈っていたが、もうすでに営業時間が制限されているし、ピッツァが食べられなくなったらいよいよおしまい。ピッツァが食べられなくなったときナポリは終わる。そのときが本当におしまい。

イタリアはもうおしまい

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2月上旬から中旬にかけて、僕は日本でコロナウィルスの感染が拡大していくさまを見ながら、鼻くそをほじっていた。そして、本来、ちょうど今日日本に戻っているはずだったのだが、日本での感染拡大を懸念して一時帰国をキャンセルしたのだった。結果、イタリアのほうがよっぽどひどい状況になっている。運命とは皮肉なものである。

いま、イタリアで感染の中心となっているのは北部のロンバルディア州ヴェネト州エミリア・ロマーニャ州である。とはいえ、ナポリのあるカンパニア州も無関係ではない。僕の通う大学、オリエンターレも二学期の授業が始まってたった3日間で3月15日までの休校が決まった。これは首相命令によるもので、イタリアの全国的な措置だった。

そして昨夜、さらに厳しい措置が取られることになった。ミラノのあるロンバルディア州ほか、北部の14県が4月3日まで「封鎖」されることになり、ディスコ、映画館、博物館その他人の集まりそうなところは休業が命ぜられ、レストランなども6時から18時に営業時間が制限されるなど、雲行きがますます怪しくなってきた。おまけに、「封鎖」されるというので、封鎖対象の地域から脱出する動きが加速しているようだ。意味がわからない。封鎖するのかと思ったら、列車や飛行機はふつうに動いているようだ。余計に感染が拡大するんじゃないのか。

さすがにこの措置には賛否両論あり、感染拡大を抑えるためには必要な措置だという声もあれば、「いくらなんでもやりすぎだ」という反対意見もある。面白いのが、「家族を引き裂くなんてひどい」という反対意見があることだ。日本だったら「経済はどうするんだ」という反対が中心になりそうなものだが(そういう反対意見が悪いとかおかしいとかいうことではない)、イタリアでは家族に会えなくなるから封鎖しないでほしいというのである。そういうところがイタリアのいいところだ。どこまで行ってもイタリアは愛情に溢れた国だ。

いずれにせよイタリアはもうおしまいだろう。北部の大学はすでに4月3日まで閉鎖されることになっているが、この調子だとオリエンターレもあと一週間で元通り授業が再開されるとは思えない。オリエンターレも4月3日まで休校になる可能性が高い。というか、2週間前に北部のレッドゾーンから帰還した若者が、こちらで散々ディスコに通って踊りまくった挙げ句、陽性反応が出たというので、南もまもなくおしまいになるんだろう。せめて最後の最後までピッツェリアが封鎖されないことを祈っている。

イタリア地理の最終試験の口頭試問でどもりまくってきた

27点だったとんでもないバカだと思われるかもしれないが、イタリアの大学の試験は30点満点なのでそこそこ悪くない点数だ。ここ数週間、この地理の試験のために散々振り回されていたから、これでようやく肩の荷が下りた。でも口頭試問は心臓に悪い。

科目にもよるが、イタリアの大学の試験は基本的に口頭試問で行われる。まあ、面接のようなものだ。教授に呼ばれ次第、その面前に座って、与えられた質問に答えていく。最悪だ。どう考えても最悪だ。口頭試問という形式だけでも極めて不安を煽り立てるのに、おまけに僕などは外国語でやらねばならないのだから緊張感は尋常ではない。加えて今回が口頭試問デビューだった僕の心境はお察し頂きたい。もちろん、外国人だけでなく現地人学生にとっても口頭試問は鬼門だ。「前に呼ばれた学生が泣きながら戻ってきた」とか、「答えられなさすぎて教授に詰め寄られた」とか、恐ろしい噂話にも事欠かない。

実際、今日の口頭試問もひどいものだった。そもそも学生が50人はいるのに、試験官が教授とそしてアシスタントの合計2人しかいない。1人あたり少なくとも15分はかかるから、単純計算でも最低6時間はかかる。しかも、途中で休憩を挟んだり教授がどこかに消えたりするものだから余計に時間がかかる。僕自身、呼び出されたのは試験開始から5時間半経った頃だった。それでも、僕のあとに20人近くが残っていた。効率が悪すぎる。せめて学生をグループ分けして別の試験日を設定するとか、何かしらの知恵を見せてほしい。

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さらに悪いことに、今日の口頭試問は大教室で行われた。後ろでほかの学生が待っているなか、口頭試問を受けなければならない。つまり、場合によっては公開処刑となる。実際、僕が待っている間にも、先に呼ばれた留学生が教授になじられるのが聞こえてきた。「いや、それじゃさっきと言っていることが一緒じゃないですか?!」「わかりますよ、言葉の問題があるのはわかります。ですがそれとは別問題ですよ、これは」「学部の勉強だったらそれでもいいですけど、修士なんですからねぇ・・・」等々。面と向かって非難されている本人のみならず周囲まで凍りつく。勘弁してくれ。

そして学生が一人ずつ試験を終えるたびに、皆でどんな塩梅だったか質問攻めにするのだが、先に行った留学生から恐ろしい返事が帰ってきた。「何もかも根掘り葉掘り聞かれた」というのである。嘘だろ?というのも、年明けに教授に試験へのアドバイスを求めに行ったところ、「留学生は授業で扱ったものの中から一つ好きなテーマを選んでも良い」という回答を得ていたからだ。もちろん授業で扱ったことについて全体的かつ一般的に知っている必要はあるが、深めるものを一つ選んでこい、という話だったはずなのに、何もかも全部根掘り葉掘り聞く。だまし討ち以外のなんでもない。僕の緊張感はますます高まっていく。

試験開始から5時間半後、ようやく僕の順番が回ってくる。この時点で僕はもう憔悴しきっている。ありえないくらい待たされた上に、公開処刑やだまし討ちによる緊張感のせいだ。ともかく、僕は教授の前に腰を下ろし、試験が始まる。

イタリアの『州』について話してください

「えっ・・・んーーああ・・・・・・」この時点で死を覚悟する。「ま、州というのは、ぎょ、ぎょ、ぎょ、行政区分の一つで、国家の下かつ県の上に位置するものです。イタリア統一直後には州を作ろうということがすでに考えられていて、考えていたのは、ルイージ・・・ルイージ・・・ルイージ・・・すみません覚えていません」。全然考えがまとまらない上に、教授の「何を言っているんだ、こいつは」という突き刺すような視線に耐えきれず素直に白状する。そもそも僕がまともにやったのはツーリズムについてだから州について詳細の詳細までは覚えていない。

「いずれにせよ、行政区分としては統一直後には考えられていたものの、実際に作られることはなく、区分、ぎょ、く、、、区分、行政区分として!!!成立するのは、戦争・・・、、、第二次大戦後、でした、はい!憲法第五条によって1948年に制定されますが、実際に行政、行政区分として成立したのは70年代でした、共和国憲法第五条によって!」教授が怪訝な顔をしている。何か間違ったことを言ったか?ええい、ままよ。

結局、そんな調子で、知っていることをどもりながら適当に言い放ち、教授から冷たい視線を浴びせられるということを繰り返していたら、教授が口を開く。

「27点」。

「えっ!?」

「よろしいですか」。

「いや、もっと低いかと思っていました」。

「そんなことはありませんよ、イタリア語もよろしいし」。意外と寛大だった。それなら無駄に緊張感を煽るような視線を送らないでくれればよかったのに。