ナポリを見たら死ぬ

南イタリア、ナポリ東洋大学の留学記。なお実際にはナポリを見ても死ぬことはありません。

異邦人

僕はイタリアでは外国人だ。おまけにアジア系なので人種的にもマイノリティに属する。異邦人である。

なので避けがたくステレオタイプや差別や偏見と対峙することになる。頻繁に中国人として扱われたり、まれに道端で煽られたりする。あるいは僕が日本人であると知れると、信用されていると感じることがある。

悪意がなかったり悪意があったり、あるいは善意があったりもするのが、いずれにせよある種のレッテル貼りを受ける瞬間が少なからずある。

これが僕には耐え難い。トヨタだ、アニメだ、お辞儀だなんだ、僕はそのいずれでもない。僕は裸になりたい。僕のものでない属性を取り外したい。日本人を捨てたい。アジア人を捨てたい。礼儀正しさ、サムライ、マンガ、黒澤明、全ての余計な飾り付けを払い落として純粋に僕であるものだけを開陳したい。僕が誰かを見るときにもステレオタイプに惑わされないように気をつけたい。

多和田葉子の『ペルソナ』がいま、無性に読みたい。僕の感じているものは、多和田葉子が書いたような異邦人の孤独だとかアイデンティティの問題ほど、たいそうなものではないのだが。だいぶ前に読んだとき、とても共感したことを覚えている。簡単にまとめると、ドイツ留学中の女性が差別や偏見と接して紆余曲折あり能面(ペルソナ)をかぶることで全て解決する話である。いや、ホントはもっと込み入っているんだけど、いかんせん内容をしっかり覚えていない。だから読み直したい。みなさんにも読んでいただきたい。