ナポリを見たら死ぬ

南イタリア、ナポリ東洋大学の留学記。なお実際にはナポリを見ても死ぬことはありません。

失業者による失業者の就業支援

ぼくが受講している地理の授業は、新たなフェーズに突入した。このところのテーマは"都市"となり、都市の発展やらそれに関わる人々の動きが取り上げられている。移民・難民が話題に上がる余地が減ったため、「恥を知りなさい」などと言われることがなくなったので、心に余裕ができるかと思ったが、そんなことはない。この教授は本当にツボを外さない。いつでもぼくの心を鷲掴みにする。良い意味でも悪い意味でも。

イタリアには南北問題という経済的な格差の問題が存在する。全世界レベルでも存在する問題だが、イタリア国内レベルで言うと、北部の発展した地域と、南部の発展が遅れた地域との経済格差の問題である。要因は無数にあるのでこんな場末のブログで触れるには大きすぎる話題なのだが、そもそも歴史的に南部はナポリに一極集中していたことや、イタリア統一後も効果的な対策が取れなかったことが今も影響しているわけだ。

ともかく、様々な理由があって南部は色々な面で遅れている。一方でミラノ、トリノを中心とする北部は進んでいる。そのため、イタリア南部からは北部へと人材が流出していく、という話で、まあここ150年はおおよそこの流れがずっと続いているわけだ。そして教授は例としてとあるデータを持ち出す。失業率のデータである。この時点でぼくには緊張が走る。イタリアの若年層失業率は極めて高い。40%以上なのだ。日本とは失業率の集計方法が違うので単純比較はできないが、どう考えても高い。高すぎる。しかもこれはイタリア全土の平均失業率だ。おわかりいただけるだろうか?南部はもっと酷いのである。たとえば、ぼくが住むナポリのあるカンパーニア州における若年層失業率は、50%を超える。若者の二人に一人は無職なのだ。そんなことあり得る?「ま、そんなわけで、若者が北部へと流出していくわけです」などと教授は言う。「皆さんには申し訳ないけどね、これが現実ですよ。」現実を突きつけられた。わかってはいる。もともとわかってはいたんだ、だけど今は考えないようにしているんだよ。2年後には卒業しなければいけないとか、仕事を探さなければいけないとか、でもイタリアにはまともな仕事がないとか、わかっているんだけどさ、考えたくないんだよね。本当に心臓が痛くなってくるから。実際、ぼくの周りの友だちもみんな、「卒業したらドイツかフランスで働きたい」とか、「とりあえずミラノに行こうかなと思ってる」とか、ここには仕事がない前提で南部から脱出する方法を考えている。頼む、誰かナポリでも簡単に仕事が見つかると言ってくれないか。残念ながらそんなことは誰も言ってくれない。だから考えないようにするのが精神衛生上一番正しいのである。ところが、そんなぼくの気持ちを無視して教授は話を続ける。「ところで、私にわからないのはね、この大学にも就業センターみたいなものがあるでしょう?」教授、もう就職の話はやめにしませんか。「あそこで就業支援をしている人たち、あれも失業者でしょう。なぜ失業者が失業者に仕事を斡旋しているのか、意味がわからない。」これは目からウロコである。言われてみればそのとおりだ。たしかに、仕事の斡旋をしている人たちは働いてはいるのだが、結局のところいわゆる"非正規労働者"だし、一時的な雇用契約で糊口をしのいでいるに過ぎない。実質的に失業者なのである。そんな失業者たちが、やはり仕事を求める失業者たちに就業支援をしているのだ。いや、考えれば考えるほど意味がわからない。下手くそなディストピア小説でもあり得ない状況ではないか?それにしても鋭い指摘にぐうの音も出ない。思わず学生たちからは笑いが漏れてしまう。笑っている場合ではないのだが。