ナポリを見たら死ぬ

南イタリア、ナポリ東洋大学の留学記。なお実際にはナポリを見ても死ぬことはありません。

ナポリからポンペイ遺跡へのオススメの行き方

ポンペイを観光する

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Villa dei Misteriのフレスコ画

チケットの事前購入

ポンペイの入場券は現地でも買えるので、必ずしも事前購入しなければ入場できないわけではない。が、現地ではかなり並ぶので事前購入することをおすすめする。ぼくが先日(11月上旬)の昼前に行ったときにも、30分ほど待たされた。夏のハイシーズンには平気で1時間くらい待たされることになるだろう

チケットの購入は公式サイトからできる。

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公式サイト上部

公式サイトにアクセスすると上部にチケットが買えそうなリンクがあるのでクリックする。

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リンクに飛ぶとさらにポンペイ遺跡のチケットが買えそうなリンクがあるのでこれもまたクリックする。

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そうするとチケットの販売サイトへと案内される。あとは、好きな日付のチケットを選んで買えば良い。1枚15ユーロ。さらにオンライン購入手数料が1.5ユーロかかるが、窓口に並ぶ手間を考えれば安いものだろう。

なお、どのチケットも9:00だとか8:30だとか時間指定されているが、これは遺跡の開園時間にすぎないので、指定された時間に行かなければいけないわけではない。指定された日付の入場時間内であれば、いつでも遺跡に行って入ることができる。

オンラインチケット購入者は、現地のチケット売り場で事前購入者専用の窓口へ行き、オンライン予約したチケットを引き取る必要がある。上記で購入したチケットの画面をスマートフォンで見せれば問題ない。 

ナポリからポンペイへの行き方

ポンペイへはCircumvesuviana(ヴェズヴィオ周遊鉄道)と呼ばれる路線を利用して向かう。ナポリ中央駅=Napoli Garibaldi駅から乗車し、40分ほどかけて遺跡のあるPompei Scavi駅へと到着する。Sorrento行きの電車に乗車すること。同じホームから違う方面の電車も発車するので、間違えると全然関係ないところに行くことになるので気をつけよう。ただ、電光掲示板にちゃんと「ポンペイ経由」と表示されるので、それが表示されている電車に乗れば間違いない。

なお、Napoli Garibaldi駅からの電車はめちゃくちゃ混雑する。

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Napoli Garibaldi駅、ポンペイ行きの電車待ち

こんなにも混む。当然座れない。遺跡までは40分ほどあるのでシンプルに辛い。というか遺跡の中でもさらに歩き回るのに、電車の中から立っていたら体力が持たない。だが実は、ポンペイ行きの電車で必ず座る方法がある。それは始発駅から電車に乗ることだ。

Napoli Garibaldi駅から150mほど行ったところに、Napoli Porta Nolanaという駅があり、ここがCircumvesuvianaの始発駅なのだ。Garibaldi駅から歩いて数分なので、こちらから乗車することをおすすめする。間違いなく座れる。

 

電車の切符について

Porta Nolana駅からにせよGaribaldi駅からにせよ、Circumvesuvianaのナポリポンペイ間の切符は2.6ユーロである。Circumvesuvianaの切符売り場に行って、ポンペイへ行きたいと言えば問題なく買える。ただし、ナポリのメトロを利用してポンペイに向かうときには少しお得な切符がある。たとえば、あなたがナポリのどこかに宿を取っていて、まずメトロでNapoli Garibaldi駅まで出てから乗り換えるとしよう。このとき、メトロの切符とCircumvesuvianaの切符を別々に買うと、いくらか損をすることになる。それに、切符売り場が混雑していたりして、余計な時間を使うことになる。だが、じつは、ナポリとその近郊を行く鉄道にまとめて乗れる切符があり、それさえ持っていれば切符一枚でナポリのメトロもポンペイ行きの電車も乗れてしまうのだ。

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TIC

その切符がこれ。TIC(ティック)という切符だ。街中のタバッキに入って、「ポンペイ行きのTICチケットをくれ」と言えば簡単に買える。余計に並ばずにすむし、いくらかお得になる。ナポリのメトロとポンペイ行きの電車が両方使えて3.5ユーロ。もちろん、ポンペイからナポリへ戻るときにも同じ切符を買うことができる。ちなみに、この切符は移動距離ごとに料金が定められていて、ほかにもナポリ―ソレント間、ナポリアマルフィ間の切符などがあり、同じように買うことができる。

ナポリを見て死ね

ナポリを見たら死ぬか?

Vedi Napoli e poi muori 

 ゲーテは、南イタリアを旅して、その美しさを讃えた。その際、彼が引用したのがこの言葉である――ナポリを見て死ね。

 ナポリはたしかに、風光明媚だ。この街を知らずに死んではいけない。

だが、巷ではナポリを見たら死ぬなどと諧謔的に言われることがしばしばある。たしかに、"Vedi Napoli e poi muori"という句は、文法的には、「ナポリを見て死ね」とも「ナポリを見たら死ぬ」とも解釈できるうえに、ナポリのイメージはこの上なく悪い。ゴミだらけ、マフィアだらけ、治安が悪い、車が危険云々。だから、観光客には敬遠されているように思う。とりわけ、日本人観光客は、治安を懸念してナポリを避けているように思う。実際、ぼくがローマに住んでいたころには、日本人観光客を見ない日はなかったが、ナポリではほとんど見かけない。もちろん、絶対的な観光客の数の違いもあるだろうが、それにしてもあまりにも見かけない。なぜ来ないんだ。ナポリを見て死んでくれ。頼むから。

ナポリの治安は悪くない。観光するのに問題はない。無責任に、絶対に安全だとは言わないが、かといってナポリを見たら死ぬかといえばそんなことはない。そもそも、ナポリがイタリアで一番危険、みたいな考えがおかしい。単純に犯罪率だけで見たら、イタリアで一番危険なのはミラノだ。じゃあ、ミラノを見たら死ぬかといえばそれもない。ナポリは悪いイメージが先行しすぎている。そりゃあ、日本に比べたら治安は良くないかもしれないが、イタリアの中でも特別治安が悪いというわけでもないし、結局は危ないエリアに行かない、ということが一番大事なのだ。それはナポリに限った話ではなくて、ローマでもミラノでも、どこでも同じことだ。

ちなみに、ナポリで危険とされるエリアはスペイン人地区と呼ばれるエリアだ。狭い路地が密集していて、しかもそこを中学生くらいの少年たちがヘルメットも着けずに原付き3人乗りで走り抜けたりするのでたしかに危ない。さらにひったくりも少なくない。だが、そもそも観光地でもないし、怪しい路地裏に入らなければ、そんな危険はない。変なところに首を突っ込まなければよいのだ。

 

スペイン人地区はこのあたり。

ナポリを見ずに死ねるか?

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Castel sant'Elmo

この写真はサンテルモ城から撮影したナポリのパノラマだ。控えめに言って美しすぎる。こんなに美しい街並みを知らずに死ねるだろうか?胸に手を当てて考えていただきたい。

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Quattro Formaggi

これはナポリピッツァである。控えめに言って美味しすぎる。こんなに美味しい食べ物を知らずに死ねるだろうか?頼むからもうサイゼリヤで満足しないでいただきたい。

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ぶらさがり健康器

これは夕暮れ時の広場に設置されていた鉄棒、あるいはぶらさがり健康器である。「2分間ぶら下がれたら景品プレゼント」などと書かれており、鉄棒部分の握り方まで丁寧に図示してくれている。控えめに言って面白すぎる。ちょっとした遊び道具の周りで、いい大人たちが真剣に煽り合っているのである。ぼくはこのとき、10分ほど誰かがやらないか楽しみに覗いていたのだが、結局皆騒ぎ立てるだけで誰も挑戦しなかったのが残念だ。こんなにもくだらないおもちゃに盛り上がることを知らずに死ねるだろうか?ナポリは君の挑戦を待っている。

N26のカードがついに届いた

 

www.napoli-muori.com

 N26のカードが届いた。ついに。苦節約2ヶ月。再配達を依頼すること5回。チャットで担当者に話が通じないこと数知れず。今日、ついに届いた。本当にありがとうございました。カードが半透明でかっこいい。これで余計な手数料を取られずに現金がおろせるようになる。ようやくかよ。

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イタリア人のアルティメット英語力

今日、ぼくはボローニャでフリスビーを投げてきた。

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どういうことかと言うと、アルティメットというスポーツのイタリア代表選考会があったのである。来年の世界選手権に向けて、代表選抜を行うとともに、外部コーチを招いてレベルの底上げをはかるイベントだ。一応、ぼくにも代表資格があるのと、悲しいことにナポリにはアルティメットチームが存在しないので、万一の可能性にかけるのと単純にアルティメットがしたいという気持ちで参加してきたのである。

さて外部コーチであるが、アルティメットフリスビー界という極めて狭い世界では有名な、Jimmy Mickleというアメリカ人を始めとする豪華キャストらが招かれた。「憧れのスーパースターたちに教えてもらえる」ということもあって、今回の代表選考会は普段よりも多くの選手が集まっていた。

ところが、外部コーチ陣はイタリア語話者ではないので、当然のように英語で全てが進行していく。開会の挨拶から、トレーニングの説明、指示などすべてが英語なのだ。そして残念なことにイタリア人は英語が苦手だ。まあ、日本ほどではないが、イタリアもかなり英語が通じない。ぼくも日常生活でときどき英語で話しかけられることがあるのだが、たいてい、頼むから無理はしないでくれと心配になるほどの英語力を披露されてしまう。一度、スーパーのレジで"Do you need BUSTA?"と聞かれたこともある。Bustaはイタリア語でレジ袋のことだ。いや、ぼくはイタリア語がわかるからいいけど。もちろん、好意で英語を使ってくれているのは理解できるが、途中からイタリア語になっている。

そんなわけで、イタリア人の平均的な英語力にはあまり期待ができない。しかしそんなことは気にもかけずにコーチたちは英語で話し続ける。コーチたちによるトレーニングメニューの説明のさなか、一部参加者に明らかな動揺が見え始めた。「何もわからんわ」などと囁く声が聞こえてくるのである。それでもこうした正直者には、周囲の優しい人が通訳をしてあげるのでなんとかなる。やっぱりイタリア人は強いなぁ、などとぼくが感心しているとトレーニングの説明が終わり、メニューを実践する段になる。その瞬間に少なからぬ参加者たちが指示と全く違う動きをし始める。一瞬、ぼくの理解が間違っていたのかと不安になるほどだ。結局、まるで完璧に理解したかのように頷いていた連中も、まともにわかっていなかったのだ。あるいはそもそも話を聞いていないのである。何をしにきたんだ君らは。おもしろい。イタリアは本当におもしろい。

失業者による失業者の就業支援

ぼくが受講している地理の授業は、新たなフェーズに突入した。このところのテーマは"都市"となり、都市の発展やらそれに関わる人々の動きが取り上げられている。移民・難民が話題に上がる余地が減ったため、「恥を知りなさい」などと言われることがなくなったので、心に余裕ができるかと思ったが、そんなことはない。この教授は本当にツボを外さない。いつでもぼくの心を鷲掴みにする。良い意味でも悪い意味でも。

イタリアには南北問題という経済的な格差の問題が存在する。全世界レベルでも存在する問題だが、イタリア国内レベルで言うと、北部の発展した地域と、南部の発展が遅れた地域との経済格差の問題である。要因は無数にあるのでこんな場末のブログで触れるには大きすぎる話題なのだが、そもそも歴史的に南部はナポリに一極集中していたことや、イタリア統一後も効果的な対策が取れなかったことが今も影響しているわけだ。

ともかく、様々な理由があって南部は色々な面で遅れている。一方でミラノ、トリノを中心とする北部は進んでいる。そのため、イタリア南部からは北部へと人材が流出していく、という話で、まあここ150年はおおよそこの流れがずっと続いているわけだ。そして教授は例としてとあるデータを持ち出す。失業率のデータである。この時点でぼくには緊張が走る。イタリアの若年層失業率は極めて高い。40%以上なのだ。日本とは失業率の集計方法が違うので単純比較はできないが、どう考えても高い。高すぎる。しかもこれはイタリア全土の平均失業率だ。おわかりいただけるだろうか?南部はもっと酷いのである。たとえば、ぼくが住むナポリのあるカンパーニア州における若年層失業率は、50%を超える。若者の二人に一人は無職なのだ。そんなことあり得る?「ま、そんなわけで、若者が北部へと流出していくわけです」などと教授は言う。「皆さんには申し訳ないけどね、これが現実ですよ。」現実を突きつけられた。わかってはいる。もともとわかってはいたんだ、だけど今は考えないようにしているんだよ。2年後には卒業しなければいけないとか、仕事を探さなければいけないとか、でもイタリアにはまともな仕事がないとか、わかっているんだけどさ、考えたくないんだよね。本当に心臓が痛くなってくるから。実際、ぼくの周りの友だちもみんな、「卒業したらドイツかフランスで働きたい」とか、「とりあえずミラノに行こうかなと思ってる」とか、ここには仕事がない前提で南部から脱出する方法を考えている。頼む、誰かナポリでも簡単に仕事が見つかると言ってくれないか。残念ながらそんなことは誰も言ってくれない。だから考えないようにするのが精神衛生上一番正しいのである。ところが、そんなぼくの気持ちを無視して教授は話を続ける。「ところで、私にわからないのはね、この大学にも就業センターみたいなものがあるでしょう?」教授、もう就職の話はやめにしませんか。「あそこで就業支援をしている人たち、あれも失業者でしょう。なぜ失業者が失業者に仕事を斡旋しているのか、意味がわからない。」これは目からウロコである。言われてみればそのとおりだ。たしかに、仕事の斡旋をしている人たちは働いてはいるのだが、結局のところいわゆる"非正規労働者"だし、一時的な雇用契約で糊口をしのいでいるに過ぎない。実質的に失業者なのである。そんな失業者たちが、やはり仕事を求める失業者たちに就業支援をしているのだ。いや、考えれば考えるほど意味がわからない。下手くそなディストピア小説でもあり得ない状況ではないか?それにしても鋭い指摘にぐうの音も出ない。思わず学生たちからは笑いが漏れてしまう。笑っている場合ではないのだが。