ナポリを見たら死ぬ

南イタリア、ナポリ東洋大学の留学記。なお実際にはナポリを見ても死ぬことはありません。

イタリア、第4シナリオ突入へ

 

先ほど、いつものように今日の新規感染者数を確認したら、3万人の天井を突き破っていた。そしてこんな記事も出ている。

Coronavirus Brusaferro: 'Verso scenario 4: situazione grave' - la Repubblica

そう、イタリアはいよいよ第4シナリオに突入するのである。第4シナリオとは、そう、僕が一体何個あるのかも、そもそも何のシナリオのことなのかも全く知らないシナリオのうち、おそらく4番目のシナリオのことである。

第4シナリオってなんだよ。いつのまにそんなシナリオが想定されていたんだ。全く知らなかった。ともかく、感染者の増加も止まる気配がないし、悪いシナリオであることは間違いないだろうと不安を覚えつつ記事を読みすすめると、ピエモンテロンバルディアの実行再生産数が2を超えただとか明らかにヤバすぎることが書いてある。おまけにイタリア全20州のうち11州は感染をコントロールできなくなるリスクが高く、他8州も1ヶ月後にはそのような状態に陥る可能性が高いらしい。ここに含まれなかった、ただ一つの州だけが生き残るポスト・アポカリプスな世界が到来したりするんだろうか。

いずれにせよ第4シナリオというのは、Rt=1.5を大きく上回って、感染がコントロールできなくなり、医療崩壊につながるようなシナリオのことらしい(Coronavirus, perché ci stiamo avvicinando allo scenario 4 e cosa significa - Il Sole 24 ORE)。そして、そのようなシナリオに対しては、全面的なロックダウンをするべき、との指針があるようだ。つまり、やっぱりだめみたいですね。ロックダウンも時間の問題か。「今のイタリアは2週間前のフランス」とかいうわかりづらい言い回しの記事もあって、それって大いに「今のフランスは2週間後のイタリア」である可能性があるわけで、となるとやっぱりだめみたいですね。フランスは全面的なロックダウンをする(している?)みたいだし。

「チャオ、同じ授業を受けてる学生なんだけど、ノート見せてくれない?」

などというメッセージが送られてきた。たしかに、相手は僕のクラスメイトで、クラスの全体グループにも参加している。なんでも、「昨日までインターネットに繋がらなくて授業に参加できなかった」ので、ノートを見せてほしいというのである。秋学期が始まって3週間、お前のこと他の授業で見た覚えあるけどな。まあ、何かしら事情があったんだろう。遊んでいたのか仕事をしていたのか、単にやる気がなかったのか知らないが、ノートは減るものでもないので見せることは一向に構わない。しかし残念なことに、僕のノートは日本語だらけである。日本語知識ゼロのイタリア人学生には理解不能であろう。ということで、クラスメイトには諦めていただく。

ところで、世の留学生はどうやってノートを取っているのだろう。僕はイタリア語で授業を受けながら、イタリア語と日本語混じりのノートを書いているのだが。優秀な人は第二言語だけでノートを書ききったりするんだろうか。というかそうしたほうが言語習得的にはいいのかな。

Quidquid latine dictum sit, altum videtur

なんのことはない。タイトルは「なんであれラテン語で述べられたものは、格調高く見える」というだけのラテン語である。

10月から修士課程2年目に突入し、まだ来年の話ではあるが、後期にラテン文学の授業があるのだ。それに向けて、ラテン語演習の授業が週一回で開講されているので、今期から受講している。ただ、この授業は本当にゼロからのスタートなのに対し、僕は以前から半ば趣味でラテン語を勉強しているので、一番やさしい部類と言われるカエサルやネポスくらいなら読める程度の能力はある。とはいえ、週に一度であれ、定期的にラテン語に触れるのは悪くないし、今までずっと独習でやってきたので、意外と土台に怪しいところもあるかもしれないと思って、授業を追っている。それに、結局何かしら演習の単位を取らなければならないので、どうせラテン語で取れるならそれでいい。周りのイタリア人学生も、「高校で勉強したけど来期に備えてラテン語を思い出しておきたい」などと、似たような動機で受講しているラテン語既習者が多い。

ともかく、授業では文法事項を確認したり、ラテン語のテクストを翻訳したりする。いまのところは動詞の活用や名詞の曲用くらいの単純な文法事項しかないのでたいしたことはない。そのうち込み入ったテクストや詩を読むようになるのが楽しみだ。

ところで、演習の授業だけあって、毎回、演習問題が宿題として課される。といっても宿題は義務ではないので、気が向いたらやればいい。演習問題は翻訳がメインだ。僕としてはラテン語→イタリア語訳でラテン語の理解力を高めると同時にイタリア語の添削まで受けられる一石二鳥だし、イタリア語→ラテン語訳でラテン語作文の添削をしてもらえるのが嬉しい。いままでは独習だったので、ラテン語作文はまともにやったことがなかったのだ。
ということで教授に指定されたとおり、Wordファイルに解答を書いてメールで送付する。すぐに返信が届く。「連絡ありがとう。解答、Teamsに匿名で上げても構いませんか?」。実際、匿名であろうがなかろうが、僕の解答が公開されてもまったく構わないの快諾するが、匿名にしたところで僕の解答であることはバレてしまう。他に外国人生徒がいないので、イタリア語の拙さを見れば誰のものかは一目瞭然だからだ。教授の配慮は親切だが、あまり意味はない。

ナポリ、おしまい(7ヶ月ぶり2回目)

 

www.napoli-muori.com

 今年3月、Covid-19の感染拡大により公衆衛生上の危機に直面したイタリアは、ロックダウンを行った。そしてナポリもおしまいを迎えた。

とは言ってもいつまでも何もかも封鎖しているわけにもいかないので、感染者数が減少するに従って措置は緩和された。その間も当然、ウイルスは人びとを介して密かに生き延びていたわけだが、致命的な打撃を受けた経済を再生させるために旅行キャンペーンが展開されるなど、まあ、ウイルスは恐れられつつも夏場は楽しまれた。

そして大方の予想通り、第二波がやってきた。10月になってから徐々に増え始めたかと思ったら、突然爆発し、気づいたらイタリア全体で今日の新規感染者は2万人近い。ナポリのあるカンパニア州も、昨日は1500人程度だったのに、今日は約2300人である。控えめに言っても全然だめ。
そもそも州知事のデ・ルーカ氏は、「州内の新規感染者数が毎日1000人を超えたらロックダウンしなければならない」などと発言していたのだが、その後数日ほどでこの防衛線は軽々と突破されてしまった。とはいえいきなり全部封鎖したりすれば経済的に死亡してしまうので、夜24時以降の公共空間での飲食を禁止する、くらいの比較的軽めな措置を導入したり、クラスターが発生したコムーネをピンポイントでロックダウンしたり、それでも収まらなかったら今度はレストランの終業時間を早めてみたり、徐々に規制を強化することで経済と公衆衛生とのバランスが取れるところを模索していたようだが、だめだった。2300人感染で、検査数に対する陽性割合は14.5%、新規感染者のうち95%以上が無症状ではあるものの、放置したら医療崩壊は免れない。そんなわけで、つい数日前に決まった23時以降の夜間外出禁止令が今夜から効力を発揮することになっているのだが、本日の感染者数を受けたデ・ルーカ氏は「今日から始まる規制では不十分だ」と自分で決めたはずの対策について至極真っ当な感想を述べ、「すぐにでも全てを封鎖する用意がある」と宣言した。というわけで、ナポリはまたしてもおしまいである。

これを受けて僕は、本気のロックダウンとなるとピッツァの宅配すら禁止されかねないので、今夜の夕食を当然ピッツァにした。食べられるうちに食べねばならぬ。

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イタリア美術史の試験

ナポリ東洋大学の留学記などと銘打っておきながら、自分の学生生活についてほぼ3ヶ月なにも記事を書いていなかった。

イタリアはいま、だいたいどこの大学も試験シーズンで、僕も今日は試験を受けた。1200年代後半、チマブエやジョットから、1400-1500年代のダ・ヴィンチミケランジェロに至るまでのイタリア、およびそこに関わってくるフランドル芸術の歴史を追う、美術史の授業の試験だ。

イタリアの大学の試験は基本的に、口頭で行われる。科目によっては筆記試験も行われるのだが、いずれにせよ口頭試験を受けなければならないことも多い。

ところが、未だにコロナウイルスの影響もあって、各地の大学は依然として閉鎖されたままである。そのため、授業が遠隔で行われたように、試験も当然遠隔ということになる。
ここで問題となるのが、試験の実施方法である。オリエンターレではTeamsというビデオ通話ソフトを使って、教授と学生との口頭試問が行われるのだが、しばしば一対一の口頭試問ではなくなってしまう。通常、教室で行われる試験であれば、順番に一人ずつ学生が呼ばれて試験が行われていき、待機中の学生は基本的に試験の様子を伺うことはできない。見えたとしても、内容まで聞けることはないだろう。

ところが、Teamsでは試験用のビデオ通話ルームが用意され、しばしば全員がそこに参加した状態で試験が行われていく。SkypeやLineでグループ通話をするときのことをイメージしてほしい。他の学生の試験の模様がすべて筒抜けである。遠隔試験の恩恵(?)だ。教授が配慮してくれる場合には、一人ずつ順番に個別のビデオ通話をしてくれることもあるのだが、そうでなければ試験は同席する学生の衆目に晒されることとなる。

そんなわけで、今日の美術史の試験も、全員同席型の口頭試験だった。全部で15人程度の学生がいただろうか。アルファベット順で試験が行われていくが、教授の質問も学生の回答も、教授のしかめっ面も学生の絶望もすべてがライブ配信される。まともに勉強してきた学生はスラスラと教授の問いに答えていき、教授も満足げに頷いてみせるのだが、そうでない学生は悲劇を演じることとなる。教授は疑問気な表情になるし、「それは違いますね」などと学生の回答の間違いを指摘するし、学生は学生で頭を抱えてみせたり、必死で思い出そうと視線が左上の方を向く。こうなるともう止まらない。一度まごついてしまうと取り戻すことは難しい。もちろん教授も悪魔ではないので、学生の答えを引き出そうとヒントを与えてみたりするのだが、引き出される答えがまた間違っているのである。そしてこれがすべて公開の場で行われるのだ。公開処刑と言っていい。

順番待ちの間はそんなエンターテインメントがあったわけだが、当然僕の順番も回ってくる。教授は、僕が外国人学生だからか、「何か特別得意な範囲があれば、そこから話し始めてください」と言って、僕にアドバンテージをくれた。もちろん、ネイティブの学生に対してはそんなことはしない。教授が、「ミケランジェロの彫刻の初期作品について話してください」などと質問して、学生側がそれに答えていかなければならないのである。好きなことを話していいというのはなかなかのアドバンテージだが、僕はそれを拒否した。正直に言って、全部ちゃんと勉強してきたつもりだったし、下駄を履かされるのも癪だし、威勢よく拒否することでカッコつけたいな、などと思ったからである。「特にない選びたいものもないので、教授が私に質問してください」と言い放つと、実際、教授と、臨席していたアシスタントは僕の答えに笑った。「こいつ、できる」と思わせてやった、と僕は感じた。しかし教授は、「う〜ん、それでは、先ほどの学生が答えられなかった質問をしてみましょうか」などと言い出す。「ミケランジェロの後、1500年代の後半から1600年代にかけて、遠近法はどうなっていきますか」。知らない。見事に勉強していない。即座に諦める。「申し訳ないですが、それは勉強していません」。「配布した論文にも書いてありますよ」と教授。「もちろん配布された論文は全部読みましたが、試験範囲はミケランジェロまでですから、その先の部分については答えられるほど勉強していません。ミケランジェロがある意味で遠近法に終止符を打った、ということまではわかります」とすでに泣きそうな僕。「では、他の質問に移りましょうか」と教授。カッコつけようとして思い切りカッコ悪い僕。そのあとの質問はそれなりに答えられたのだが、いかんせん出だしが酷すぎる。
そんなこんなで試験が終わると、その場で成績が言い渡される。「うん、もういいでしょう」と教授。いい点数を期待できない僕。「30点ですね」。え?満点なんだ。「ま、論文の一行一行まで全部覚えておけというのも酷でしょうし、そもそもミケランジェロの後の話は授業でもしてないですからね」。だったら最初から聞かないでくれ。心臓に悪すぎるし恥ずかしすぎる。僕がカッコつけようとしたのを見抜いた上で叩きのめすための質問だったのかな、などと勘ぐってしまう。いずれにせよ、今後なにかの試験で教授がアドバンテージをくれることがあれば、迷わず利用していきたい。