ナポリを見たら死ぬ

南イタリア、ナポリ東洋大学の留学記。なお実際にはナポリを見ても死ぬことはありません。

イタリア文学とヨーグルト

金曜日、ぼくは4つの授業を受けている。イタリア地理、イタリア文学、古典文学の文化、イタリア語。どれも面白い授業なので満足なのだが、1コマ2時間で、朝から夕方までぶっ通しで授業なのでそこそこタフだ。しかも問題なのが、授業間に休憩時間がないうえに、4つの授業がそれぞれ別の建物で行われることだ。

イタリアの大学ではいわゆる講義棟が街中に分散していることが多い。ナポリ東洋大学も4つの建物を持っていて、それぞれお互いから歩いて5〜10分くらいの距離にある。

なので、授業が連続していると困ったことになり得る。時間割的には、授業間に休憩時間がないからだ。たとえば、12時半に授業が終わり、次の授業が12時半に始まることになっている。そして教室移動に10分かかる。いや、無理でしょ。物理的に無理。間に合わない。

とはいえ実際には、そもそも教授が時間通りに来ないのでスケジュール通りにきっちり授業が始まることはないし、また次の授業への移動を考慮して、時間まで目一杯授業をやることも少ない。だからなんとか移動ができる。しかしそう上手く行かないことがある。前の授業が伸びたり、次の授業が時間通りに始まったりするとシンプルに詰む。というかイタリア文学の授業のときはだいたい詰んでいる。
イタリア文学の教授はなぜか時間通りに授業を始めてしまう。イタリア人は時間にルーズ、というステレオタイプを粉々に打ち砕かれる。その前の地理の授業が終わってから移動すると、しばしば間に合わない、冒頭が聞けない。おまけに、イタリア文学の授業は絶対に時間内に終わらない。あれ、やっぱりイタリア人は時間にルーズなのかな、と考え直してしまう。結局、冒頭だけでなく終わりも聞けない。次の古典文学の授業に移動しなければいけないからだ。油断してイタリア文学の授業を聞きすぎると、古典文学の授業の冒頭を逃すことになる。もうわけがわからない。

そんなわけで毎週金曜日のイタリア文学の授業は強敵だ。12時半前に地理の授業が終わったらすぐに移動しなければ間に合わない。というかすぐに移動してもわりと間に合わない。当然昼食を食べる時間もない。どうしようもないのでぼくは移動中にパニーノを食べるようにしている。
おとといの金曜日も、ぼくは移動しながら昼食のパニーノを食べていた。すると、クラスメイトの中国人留学生と遭遇した。彼女も絶望的な気持ちで教室移動をしているわけだ。「時間割ほんとひどいよね、食べる時間すらないし。何か食べた?」と話題を振ってみる。ところが彼女の中国語訛りがすさまじいので返事がほとんど聞き取れない。「ヨーグルト」云々言っているのだけわかったので、どうやらヨーグルトを食べたらしい、と理解して適当に相槌を打っていたら教室に着く。当然のように授業はすでに始まっている。また冒頭を聞き逃した。

ところで前回の授業で、「次回はダンテの『神曲』地獄篇第15歌を読むので予習してきなさい」と言われていたので、ぼくは素直に予習をして、この授業に備えていた。ところが教授の話を聞いていると突然、「さて、皆さん、地獄篇第19歌は読んできましたか」などと予告と違う歌を読んだか確認してくる。話が違いすぎる。前回は間違いなく「第15歌」と言っていたのに。なんならぼくは毎回授業を録音しているからこの場で再生してやってもいいんだぞ。はぁ〜せっかく予習したのに無駄になったか、とため息が出るが、教授はさらに一歩先を行く。「ですが今回は『神曲』は読まずに別の作品を読みます」というのだ。そしてフェデリコ・フレッツィというダンテの影響を強く受けた詩人の”Quadriregio"という詩を読み始めるのだが、全くもって予告されていないので手元に資料がない。せめて『神曲』だったら手元にあるのに。これもう完全にトラップだろ、と絶望していると、隣に座っている先ほどの中国人留学生がカバンをあさり始める。お、もしかして"Quadriregio"を持ってきているのか!?頼む一緒に見せてくれ、と言おうと身構えたその時、彼女はカバンからヨーグルトを取り出した。そしておもむろに食べ始めた。さっきの話はそういうことだったんだね。完璧に理解しました。授業は完璧に理解できませんでした。