ナポリを見たら死ぬ

南イタリア、ナポリ東洋大学の留学記。なお実際にはナポリを見ても死ぬことはありません。

ダンテ、ストーカー

僕が受講しなければならないイタリア文学の授業は、教授が資料も板書もなくひたすら話し続けるという地獄の様相を呈している。当然一度ではわかるわけもないので、授業を録音してあとから復習するようにしているのだが、僕の近くに座っていた生徒が「わからない。全くわからない」とボヤいて退出する模様まで録音されていて笑ってしまった。いや確かに話が脱線して、なんだか思いつきで話しているような印象すら受けるので、本当にわかりづらい。

ともかくこのイタリア文学の授業では、主にダンテ、それからダンテに影響を受けた作家が扱われることになっている。みなさんもダンテの名前くらいは聞いたことがあるだろうと思う。もしかすると『神曲』という作品もご存知かもしれない。

このダンテという人は、イタリア史上最高の詩人と見なされている。それだけではない。人文主義の発端、ルネサンスの先駆けとなった人とも言われる。後世の作家や画家たちのインスピレーションの源泉となった偉大な人である。ペトラルカ、ボッカッチョ、ラファエッロ、ボッティチェッリゲーテ、等々影響を受けた人物を挙げればキリがない。そして『神曲』はイタリア語(厳密にはトスカーナ方言)で書かれたもので、現代イタリア語の成立の大きな礎となった。当時は書き言葉といえばラテン語であったたのに、である。つまるところ、ひとことでわかりやすく言えばスーパーすごいやつなのだ。

そんなスーパーすごいやつであるダンテだが、かなりストーカー気質の男なのだ(清新体派はだいたいみんなそうなのだが)。ダンテの詩の鍵となるのは、彼がずっと片想いをしていたベアトリーチェという女性である。『神曲』につながる重要な作品である『新生』でダンテはベアトリーチェとの出会いについて語っている。曰く、彼女がダンテの前に初めて現れたのはお互いに9歳のときだった。紅い服を着たお淑やかな彼女を見た瞬間に、「心臓に住まう生命の霊」が激しく震えたという。中世の生理学用語を使っているのでわかりづらいが、要するに一目惚れの大興奮で心臓ドッキドキだよぉ、くらいのことを言っている。また「自然の霊」が泣き始めたとも言っている。これから愛に支配されることになるのを恨めしく思うからだ。この時点で書き方がだいぶ気持ち悪い。が、当時はそういうものなのでしょうがない。ともかく、ダンテとベアトリーチェとの最初の出会いはこのようにして起きた。

ダンテとベアトリーチェとの2回目の出会いはそのさらに9年後である。ダンテがフィレンツェの街を歩いていたら、たまたま彼女とすれ違ったのである。それはその日の9時のことで、ダンテはベアトリーチェが近づいてくるのを見て、もうそれだけで震えていた。愛に震えて固まっていたのである。するとなんと、ベアトリーチェがダンテに目線をやり挨拶をするのである!もうこれは事件にほかならない。ベアトリーチェの甘美さに打ち震え陶酔したダンテは、あわてて家に帰り、たったいま起こった事件について思いを巡らせる。そんな考え事をしているうちに居眠りしてしまったかと思えば、夢に見るのはベアトリーチェのことである。そうして、ダンテはベアトリーチェへの愛の詩を書き始める・・・。

9年間も片想いしている時点でなかなかの筋金入りだが、挨拶されただけで打ち震え家に帰り、彼女を夢見て詩を書き始める。ロマンチック?いや、ストーカーである。現にこのあと、あまりにあからさまにダンテがベアトリーチェを思慕するので、彼女から疎ましく思われたりしてしまう。これがストーカーでなかったら一体なんであろうか。

ベアトリーチェはところで、若くして死んでしまう。ちなみにダンテは、ベアトリーチェが天に召される夢を見て号泣し発狂しかけたりしている。やはり気味が悪い。ともかく夭逝した片想いの相手を忘れられないダンテは、彼女を神格化するために壮大な叙事詩を作り上げる。それが『神曲』である。地獄、煉獄、天国の3編、全100歌から成る、彼の最高傑作だ。そのなかでダンテはベアトリーチェを愛の象徴にまで昇華し、天国の神のすぐそばに置いた。勝手に恋して勝手に盛り上がって勝手に神格化している。現代的な感覚でいったらストーカー以外の何物でもない。さらにすごい(気持ち悪い)のは、その構成である。ダンテはという数字にこだわった。キリスト教の三位一体を象徴する重要な数字だからである。ここでベアトリーチェとダンテが出会った歳を思い出していただきたい。9歳、すなわち3x3歳なのである。しかも、再会したのは3x3年後の、3x3時のことである。また、神曲は3編からなるし、それぞれ33歌x3編+1歌=100歌=10x10歌で構成されているのである。10は完全数なので、これも大事な要素だ。こんなふうにして細部にまでこだわる、ストーカーの鑑みたいな男である。

 

俗っぽいことを書いたが、ダンテはこんないい加減なブログでは語り尽くせるわけがないほど偉大な詩人である。その業績は疑いようがない。ストーカーっぽいかもしれないが、じつに美しい作品を残しているので、ぜひ読んでほしい。とくに『新生』は、ダンテが自分自身の詩を説明するような構成になっているので、わかりやすくてオススメだ。