ナポリを見たら死ぬ

南イタリア、ナポリ東洋大学の留学記。なお実際にはナポリを見ても死ぬことはありません。

日本語学徒は変わった人が多い

これは全くもって個人的な偏見なのだが、日本語の学生は変わった人が多い。もちろん悪意はない。

僕個人の感覚的な調査結果では、日本語を勉強しているとか、日本に興味がある、というイタリア人学生はおおまかに3つのカテゴリーに分けられる。まず、黒澤明だったり、茶道だったり、俳句だったり、大雑把な言い方ではあるが、“日本の伝統美”に惹かれている学生である。次に、現代日本の文学に興味のある学生だ。この場合、彼らが日本に関心を持ったきっかけはなぜか吉本ばななであることが多い。そして最後に、言うまでもなく日本語を学ぶ学生の大多数を占めるのが、アニメ・漫画好きである。

この第三のカテゴリーはさらに2つの下位カテゴリーに分類することが可能である。ひとつは、ドラゴンボールキャプテン翼など、日本でも誰もが名前くらいは知っていて、かつイタリアでもテレビで放送されていたようなアニメでなんとなく興味を持った、くらいのカジュアルな層である。もうひとつは、ここからさらに踏み込んで、ディープな世界に踏み込んだ人たち、言い換えればアニメ・漫画オタクと化した人々だ。もちろん、彼らがアニメ・漫画に興味があるという事実それ自体は悪いことではないのだが、僕は個人的にはアニメ・漫画に大した情熱も興味もないタイプの人間であるため、『NARUTO』であればナルトがイジメを受けて一人寂しくブランコに乗っているごく初期のシーンしか知らないし、『ドラゴンボール』であれば戦闘力53万がどうやら恐ろしい数字であるらしいことくらいしか知らないので、僕が日本人であるという理由でアニメ・漫画の話題を振られると少し困ってしまうのである。ブラックジャック』『はだしのゲンの話題ならかかってこい、という構えはあるのだが、どうやらイタリアには学校の図書室でこれらの作品を読む文化はないらしい。

さて、どうしてこんなことを書くのかというと、実はつい最近、大学で日本語を学んでいる僕の知り合いAと話す機会があったからだ。なんでも、彼女自身の言うところによれば「入学して日本語を学び始めた頃は、本当にコース選択を間違えたと思った」そうである。なぜなら、「髪の毛を青や緑に染めていたり、変な制服を着ていたり、とにかくアニメの世界から飛び出してきたかのような同級生ばかり」で、「自分を含めてごくわずかしかまともな学生がいなかった」からだという。すごくよくわかる。たしかに、“変わった人”に限って日本語の学生なんだよな。繰り返すが悪い意味で言っているのではない。しかし、いまになって彼女の発言を思い出してもニヤニヤできるくらいには面白い。

しかし、そんなAも結局はコースを変えることもなく、大半の科目の試験を終え、残るわずかな科目さえ済ませれば晴れて大学を卒業となる。そして、残されている科目というのは日本語である。どうにもAは日本語が苦手らしく、「最後の最後まで試験を残してしまった」のだそうだ。まあ、ポジティブに捉えれば、いまや日本語の勉強だけに集中することができるのだから、コツコツやればいいじゃないか、などと思いながら話を聞いていると、Aはこう切り出した。「ねえ、私の代わりに試験受けてくれない?」。もちろん冗談だと思った僕は、「そうだねぇ〜いきなり30点(イタリアの大学の試験は30点満点である)だと怪しまれちゃうから、24点ぐらいに調整してあげるよ」などと冗談めかして請け負った。そして結局、その日はそれ以上この話題が続くことはなかった。

しかし数日後、僕の彼女を通じて(Aは僕の彼女の友人でもある)、Aが本気だったことが明かされる。彼女のもとにAは「もしかして本当に代打で試験受けてくれないかな?」などとメッセージを送ったのである。コロナ禍にあって日本語の筆記試験も遠隔で行われるので、「カメラで私だけ映るようにするから、画面に映らないところから答えをサジェストしてほしい」というのだ。お前は一体何を言っているんだ。たしかに、Aはすでに「もう数えるのもやめた」と言うくらいに日本語の試験に落第しているし、僕もそれを知っているから助けてもあげたいし、気持ちはわからないでもないが、だめなものはだめだ。助けるにしても、こんな間違ったやり方で助けるわけにはいかない。ということで、丁重にお断りさせていただく。しかし君、自分はごく少ないまともな学生の一人だったと言った口で一体なんというお願いをしてくるのか。