ナポリを見たら死ぬ

南イタリア、ナポリ東洋大学の留学記。なお実際にはナポリを見ても死ぬことはありません。

アックア・アルタという恥:モーゼ・プロジェクト

「なぜイタリアでは何事も上手くいかないのか」というのは地理の授業の教授から投げかけられた問いである。とはいえ、それは誰もがしばしば考える問題なのだが。「他の国では解決される問題も、この国では決して解決しない」と教授は嘆く。「ヴェネツィアでの出来事、皆さんもご覧になっているでしょう。あれは、イタリアの恥ですよ。他の国ならあんなことはあり得ない」。日本でも報道されているようだが、ヴェネツィアでは先週頃から、アックア・アルタと呼ばれる高潮による市街への浸水被害が起きている。もともと、ヴェネツィアは潟の上に建設された街であるし、海抜も低いところにあるから、ちょっとした条件が重なって高潮が発生すると街が沈んでしまうのである。アックア・アルタの頻度は年々増加している。今回は特に規模が大きく、観測史上二番目の浸水度であった。

もちろん、高潮に対する対策がないわけではない。1966ヴェネツィアは過去最大の浸水に見舞われた。通常潮位より+194cmという高潮だ。それを機に対策の必要が認識され、そのための法律的な手続きなども進められ、1990年頃からモーゼ・プロジェクトと呼ばれる計画が検討される。そしてついに2003年にモーゼと呼ばれる可動式の堤防の建設が始まった。この堤防は通常時は海面下で眠っているのだが、高潮時には立ち上げられてヴェネツィアのある湾内への水の侵入を防ぐすごいやつなのだ。それはいいのだが、大きな被害から建設開始までにすでに40年近くが経過していることが嘆かわしい。こういう、効率の悪さ、仕事の進まなさ、動きの遅さがイタリア人にとってはなのである。アックア・アルタに限らず、なにかしらイタリアという国の機能不全が報じられると、イタリア人はしばしばという言葉を使う。どうして他の国ではありえないような問題がイタリアでは発生するのか、という怒りにも似た嘆きである。ぼくも常々不思議に思っているのだが、いまのところ、まだ答えを得ていない。
ともかく、モーゼ・プロジェクトは始動した。ところが、未だに完成していない。半世紀が経ったというのにヴェネツィアには高潮への有効な対策がないのである。贈収賄事件、環境破壊への懸念、そもそも以上に高すぎるコストなど様々な問題を積み上げてきたモーゼ・プロジェクト。今のところ、完成は2021年末ということになっているが、すでに遅れに遅れているのでもはや誰も信用していない。なぜこんなことになってしまうのだろう。さらに悪いことには、誰もこの問いに対する答えを持っていないのである。イタリア人の嘆き、恥ずかしがる気持ちもよくわかる。