ナポリを見たら死ぬ

南イタリア、ナポリ東洋大学の留学記。なお実際にはナポリを見ても死ぬことはありません。

海外の銀行:N26を留学用口座として使う

 

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 以前にも紹介したN26。口座開設手続きは8分で済むうえに、スマホとパスポートさえあれば、サービスの展開されている国ならどこでも使えるというすごい銀行だ。
その点で、ぼくは特にイタリア関係者のみなさんにN26をおすすめしたい。というのは、ほかの国の事情はしらないが、イタリアの他の銀行はしばしば口座開設手続きに「イタリア政府発行の身分証明書」が必要になるのだ。多くの場合、「滞在許可証」がその条件を満たす唯一の身分証明書となると思うが、銀行口座はすぐにでも必要なのに滞在許可証は半年たっても手に入らない、ということが平気で起こる。ぼく自身、少なくともあと3ヶ月は滞在許可証が手に入らないことが確定している。そのため、下記のメリットや簡単に開設できることを考慮すると、N26が現実的には唯一の選択肢になってしまうのだ。簡単に開設できるといっても、ぼくの場合、イタリアの郵便事情がひどいので、キャッシュカードを手に入れるまで2ヶ月近く待ったけど。

ともかくN26のメリットは口座維持手数料がかからないことと、ATMからの引き出しや振り込みなどにも手数料がかからないことだ。完全に無料で使える。細かいことは冒頭の関連記事を読んでいただきたいのだが、とにかく留学生活で使うのなら、日本の銀行のデビットカードを海外利用するよりもお得になる。余計な為替手数料やらATM利用手数料やらがないからだ。

さらに良いことに、N26は口座を開設するとキャッシュカード兼デビットカードが送付されてくるのだが、このカードを使うとすぐにアプリに通知がくる。そして利用履歴が残る。

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N26アプリのメイン画面

これはN26のアプリで見られる自分の口座情報だ。口座の残高だけでなく、ぼくがデビットカードを、いつ、どこで、いくら利用したのかという記録も確認できる。そして感動的なのが、自動的に家計簿をつけてくれて、統計をとってくれることだ。

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家計簿

こんなふうに、月ごとにショッピングにいくら、食材にいくら、ATMでいくら下ろしたたかなど、わざわざ自分で記録しなくても全部自動で記録してくれる。ちなみに、ぼくは先日プロテインを買ったため今月の出費が膨らんでいる。そんなことまで後から見直したときにすぐにわかる。「11月はプロテイン買ったからな〜」とすぐに納得ができる。ちなみに、プロテインはショッピングの枠に自動で分類された。N26の判定基準ではプロテインは食材ではないらしい。まあ、ぼくとしてはそこまでこだわらないのでそのままにしているが、もしも気になるのなら手動でカテゴリーを変更することもできる。

そんなわけで、もしも留学など海外生活で銀行口座をどうするか悩んでいるなら、N26をおすすめする。

アックア・アルタという恥:モーゼ・プロジェクト

「なぜイタリアでは何事も上手くいかないのか」というのは地理の授業の教授から投げかけられた問いである。とはいえ、それは誰もがしばしば考える問題なのだが。「他の国では解決される問題も、この国では決して解決しない」と教授は嘆く。「ヴェネツィアでの出来事、皆さんもご覧になっているでしょう。あれは、イタリアの恥ですよ。他の国ならあんなことはあり得ない」。日本でも報道されているようだが、ヴェネツィアでは先週頃から、アックア・アルタと呼ばれる高潮による市街への浸水被害が起きている。もともと、ヴェネツィアは潟の上に建設された街であるし、海抜も低いところにあるから、ちょっとした条件が重なって高潮が発生すると街が沈んでしまうのである。アックア・アルタの頻度は年々増加している。今回は特に規模が大きく、観測史上二番目の浸水度であった。

もちろん、高潮に対する対策がないわけではない。1966ヴェネツィアは過去最大の浸水に見舞われた。通常潮位より+194cmという高潮だ。それを機に対策の必要が認識され、そのための法律的な手続きなども進められ、1990年頃からモーゼ・プロジェクトと呼ばれる計画が検討される。そしてついに2003年にモーゼと呼ばれる可動式の堤防の建設が始まった。この堤防は通常時は海面下で眠っているのだが、高潮時には立ち上げられてヴェネツィアのある湾内への水の侵入を防ぐすごいやつなのだ。それはいいのだが、大きな被害から建設開始までにすでに40年近くが経過していることが嘆かわしい。こういう、効率の悪さ、仕事の進まなさ、動きの遅さがイタリア人にとってはなのである。アックア・アルタに限らず、なにかしらイタリアという国の機能不全が報じられると、イタリア人はしばしばという言葉を使う。どうして他の国ではありえないような問題がイタリアでは発生するのか、という怒りにも似た嘆きである。ぼくも常々不思議に思っているのだが、いまのところ、まだ答えを得ていない。
ともかく、モーゼ・プロジェクトは始動した。ところが、未だに完成していない。半世紀が経ったというのにヴェネツィアには高潮への有効な対策がないのである。贈収賄事件、環境破壊への懸念、そもそも以上に高すぎるコストなど様々な問題を積み上げてきたモーゼ・プロジェクト。今のところ、完成は2021年末ということになっているが、すでに遅れに遅れているのでもはや誰も信用していない。なぜこんなことになってしまうのだろう。さらに悪いことには、誰もこの問いに対する答えを持っていないのである。イタリア人の嘆き、恥ずかしがる気持ちもよくわかる。

異邦人になるということ

 

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 以前にも書いたのだが、ぼくはここナポリでは明らかに異邦人である。そして、異邦人としてそれ相応の経験をする。差別、ステレオタイプ、偏見。店先から「ニーハオ」と声をかけられるくらいのことはまだいい。東アジア人=中国人なのだろう。酷いと、すれ違いざまに暴言を吐かれたりするから、敵意がないだけマシだ。だが、悪意がなくても安心はできない。たとえば、「日本人は清潔だから」好きだ、というようなことを言われることがときどきある。じゃあ、韓国人や中国人だったり、ラオス人だったらどうなんだ、と思う。言外に、ほかの人たちに対する無意識な偏見を感じてしまう。こういうことを友人から言われると、ひそかな悲しみを覚えずにはいられない。あなたがぼくと一緒にいるのは、日本人が好きだからなのですか、それともぼくが好きだからなのですか、と聞きたくなる。自分が属する集団が高く評価されることが悪いとは思わない。ぼく自身、それによって恩恵を受けていることは否定できない。けれども、その代わりに誰かが中国人だから、韓国人だから、というそれだけの理由で貶められたり偏見を受けたりするのなら、ぼくには耐えられない。そして、その偏見が無意識であるからこそ、より一層事態は深刻なのだと思える。それが問題だと気づかない程度に偏見が内面化されてしまっている。

そして、こういう話をすると、「偏見はどこにでもあるからしょうがない」とか、「日本人だってガイジンを差別したりするだろう」とか言われてしまう。ある意味でぼくを慰めるためだったり、現実を受け入れさせるためだったりするのだが、ぼくとしては考えれば考えるほど納得ができない。差別、偏見、ステレオタイプはどこにでもある。たしかにそうだ。日本人だって外国人を差別する。それもそうだ。しかし、だからなんなのか?日本人も差別する。偏見はどこにでもある。紛れもない事実だ。その紛れもない事実を突きつけられると、ますます息が詰まるような気がする。どうしてわざわざぼくまで、差別や偏見を内面化しなければいけないのか?あまりにもぼくらの文化に深く根ざしている差別や偏見について、改めて現実を突きつけられると、本当に無力さを感じてしまう。悪意があったり、なかったり、無意識だったり、意識的だったり、いろんな形でどこかの誰かが差別や偏見の対象になっていると考えると、現実として受け入れて諦めるどころか、ますます不愉快で絶望的な気持ちになってくる。

こういう感覚は、自分自身が異邦人にならないとわからないものなのかもしれない。もうだいぶ前の話になるが、イチローが引退会見をしたときに、彼は「アメリカに来て、外国人になって、人の心を慮る」ようになったと言った。ぼくは、ナポリに来る前にもローマで生活した経験があったから、会見を見て、イチローの言葉にとても共感した。いま、ナポリで生活しながら、ふと、そのことを思い出したのだ。異邦人とか、外国人とか、いろいろ言い方はあるが、要するに自分がある集団のなかで異質な存在となると、良くも悪くも痛みや孤独を感じる瞬間がある。偏見や差別の対象となることがある。だからこそ、そういうものに対して敏感になるし、あるいは誰かがその対象とはなっていないか、自分自身が加害者となっていないか、いろいろと気をつけたり、誰かの気持ちを汲み取るようになるわけだ。本当に誰かに共感(エンパシー)を覚えることができるようになったのは、少なくともぼくの場合は、異邦人になってからである。

ナポリからポンペイ遺跡へのオススメの行き方

ポンペイを観光する

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Villa dei Misteriのフレスコ画

チケットの事前購入

ポンペイの入場券は現地でも買えるので、必ずしも事前購入しなければ入場できないわけではない。が、現地ではかなり並ぶので事前購入することをおすすめする。ぼくが先日(11月上旬)の昼前に行ったときにも、30分ほど待たされた。夏のハイシーズンには平気で1時間くらい待たされることになるだろう

チケットの購入は公式サイトからできる。

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公式サイト上部

公式サイトにアクセスすると上部にチケットが買えそうなリンクがあるのでクリックする。

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リンクに飛ぶとさらにポンペイ遺跡のチケットが買えそうなリンクがあるのでこれもまたクリックする。

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そうするとチケットの販売サイトへと案内される。あとは、好きな日付のチケットを選んで買えば良い。1枚15ユーロ。さらにオンライン購入手数料が1.5ユーロかかるが、窓口に並ぶ手間を考えれば安いものだろう。

なお、どのチケットも9:00だとか8:30だとか時間指定されているが、これは遺跡の開園時間にすぎないので、指定された時間に行かなければいけないわけではない。指定された日付の入場時間内であれば、いつでも遺跡に行って入ることができる。

オンラインチケット購入者は、現地のチケット売り場で事前購入者専用の窓口へ行き、オンライン予約したチケットを引き取る必要がある。上記で購入したチケットの画面をスマートフォンで見せれば問題ない。 

ナポリからポンペイへの行き方

ポンペイへはCircumvesuviana(ヴェズヴィオ周遊鉄道)と呼ばれる路線を利用して向かう。ナポリ中央駅=Napoli Garibaldi駅から乗車し、40分ほどかけて遺跡のあるPompei Scavi駅へと到着する。Sorrento行きの電車に乗車すること。同じホームから違う方面の電車も発車するので、間違えると全然関係ないところに行くことになるので気をつけよう。ただ、電光掲示板にちゃんと「ポンペイ経由」と表示されるので、それが表示されている電車に乗れば間違いない。

なお、Napoli Garibaldi駅からの電車はめちゃくちゃ混雑する。

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Napoli Garibaldi駅、ポンペイ行きの電車待ち

こんなにも混む。当然座れない。遺跡までは40分ほどあるのでシンプルに辛い。というか遺跡の中でもさらに歩き回るのに、電車の中から立っていたら体力が持たない。だが実は、ポンペイ行きの電車で必ず座る方法がある。それは始発駅から電車に乗ることだ。

Napoli Garibaldi駅から150mほど行ったところに、Napoli Porta Nolanaという駅があり、ここがCircumvesuvianaの始発駅なのだ。Garibaldi駅から歩いて数分なので、こちらから乗車することをおすすめする。間違いなく座れる。

 

電車の切符について

Porta Nolana駅からにせよGaribaldi駅からにせよ、Circumvesuvianaのナポリポンペイ間の切符は2.6ユーロである。Circumvesuvianaの切符売り場に行って、ポンペイへ行きたいと言えば問題なく買える。ただし、ナポリのメトロを利用してポンペイに向かうときには少しお得な切符がある。たとえば、あなたがナポリのどこかに宿を取っていて、まずメトロでNapoli Garibaldi駅まで出てから乗り換えるとしよう。このとき、メトロの切符とCircumvesuvianaの切符を別々に買うと、いくらか損をすることになる。それに、切符売り場が混雑していたりして、余計な時間を使うことになる。だが、じつは、ナポリとその近郊を行く鉄道にまとめて乗れる切符があり、それさえ持っていれば切符一枚でナポリのメトロもポンペイ行きの電車も乗れてしまうのだ。

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TIC

その切符がこれ。TIC(ティック)という切符だ。街中のタバッキに入って、「ポンペイ行きのTICチケットをくれ」と言えば簡単に買える。余計に並ばずにすむし、いくらかお得になる。ナポリのメトロとポンペイ行きの電車が両方使えて3.5ユーロ。もちろん、ポンペイからナポリへ戻るときにも同じ切符を買うことができる。ちなみに、この切符は移動距離ごとに料金が定められていて、ほかにもナポリ―ソレント間、ナポリアマルフィ間の切符などがあり、同じように買うことができる。

ナポリを見て死ね

ナポリを見たら死ぬか?

Vedi Napoli e poi muori 

 ゲーテは、南イタリアを旅して、その美しさを讃えた。その際、彼が引用したのがこの言葉である――ナポリを見て死ね。

 ナポリはたしかに、風光明媚だ。この街を知らずに死んではいけない。

だが、巷ではナポリを見たら死ぬなどと諧謔的に言われることがしばしばある。たしかに、"Vedi Napoli e poi muori"という句は、文法的には、「ナポリを見て死ね」とも「ナポリを見たら死ぬ」とも解釈できるうえに、ナポリのイメージはこの上なく悪い。ゴミだらけ、マフィアだらけ、治安が悪い、車が危険云々。だから、観光客には敬遠されているように思う。とりわけ、日本人観光客は、治安を懸念してナポリを避けているように思う。実際、ぼくがローマに住んでいたころには、日本人観光客を見ない日はなかったが、ナポリではほとんど見かけない。もちろん、絶対的な観光客の数の違いもあるだろうが、それにしてもあまりにも見かけない。なぜ来ないんだ。ナポリを見て死んでくれ。頼むから。

ナポリの治安は悪くない。観光するのに問題はない。無責任に、絶対に安全だとは言わないが、かといってナポリを見たら死ぬかといえばそんなことはない。そもそも、ナポリがイタリアで一番危険、みたいな考えがおかしい。単純に犯罪率だけで見たら、イタリアで一番危険なのはミラノだ。じゃあ、ミラノを見たら死ぬかといえばそれもない。ナポリは悪いイメージが先行しすぎている。そりゃあ、日本に比べたら治安は良くないかもしれないが、イタリアの中でも特別治安が悪いというわけでもないし、結局は危ないエリアに行かない、ということが一番大事なのだ。それはナポリに限った話ではなくて、ローマでもミラノでも、どこでも同じことだ。

ちなみに、ナポリで危険とされるエリアはスペイン人地区と呼ばれるエリアだ。狭い路地が密集していて、しかもそこを中学生くらいの少年たちがヘルメットも着けずに原付き3人乗りで走り抜けたりするのでたしかに危ない。さらにひったくりも少なくない。だが、そもそも観光地でもないし、怪しい路地裏に入らなければ、そんな危険はない。変なところに首を突っ込まなければよいのだ。

 

スペイン人地区はこのあたり。

ナポリを見ずに死ねるか?

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Castel sant'Elmo

この写真はサンテルモ城から撮影したナポリのパノラマだ。控えめに言って美しすぎる。こんなに美しい街並みを知らずに死ねるだろうか?胸に手を当てて考えていただきたい。

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Quattro Formaggi

これはナポリピッツァである。控えめに言って美味しすぎる。こんなに美味しい食べ物を知らずに死ねるだろうか?頼むからもうサイゼリヤで満足しないでいただきたい。

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ぶらさがり健康器

これは夕暮れ時の広場に設置されていた鉄棒、あるいはぶらさがり健康器である。「2分間ぶら下がれたら景品プレゼント」などと書かれており、鉄棒部分の握り方まで丁寧に図示してくれている。控えめに言って面白すぎる。ちょっとした遊び道具の周りで、いい大人たちが真剣に煽り合っているのである。ぼくはこのとき、10分ほど誰かがやらないか楽しみに覗いていたのだが、結局皆騒ぎ立てるだけで誰も挑戦しなかったのが残念だ。こんなにもくだらないおもちゃに盛り上がることを知らずに死ねるだろうか?ナポリは君の挑戦を待っている。