ナポリを見たら死ぬ

南イタリア、ナポリ東洋大学の留学記。なお実際にはナポリを見ても死ぬことはありません。

ィタリァ語でゎXゃKゎ使ぃません

ローマ字は全部で26文字あるが、イタリア語では基本的に21文字しか使わない。イタリア語においては、J, K, W, X, Yの5文字はほとんど外来語を表記するときにしか使われないのだ。

ところがそんな文字を好き好んで使う連中がいる。とりわけXとKを。

Xは"per"、Kは"ch"や"c"の代用として使われるのだ。つまり、たとえばイタリア語では英語のbecauseはperchéなのだが、xkéと書くやつらがいる。同じくforはperだからxと書かれるし、接続詞のthatはcheなのでkeになってしまう。

そんなわけで、"Anche perché mi ha detto che 〜〜"「それに〜〜って言われたから」という文章は、"Anke xké mi ha detto ke〜〜"「それに〜〜ってぃゎれたヵら」という具合になる。やめろ。本当にやめてくれ。頭が痛くなる。

かつてSMSでやりとりしていた頃は、制限文字数におさめるために節約的な意味もあったらしいのだが、今ではそんな意味はあるはずもなく、単純に打つのがめんどくさいという理由だけで本来使わないアルファベットで省略した書き方をしているわけだ。しかし今のスマホには予測変換もあるわけで、言うほど入力は面倒ではないだろう。というか、自動で修正入力されてしまうから、いちいち直すほうが余計な手間がかかるのではないかと思う。現に、"Anke"と打ったら勝手に"Anker"になってしまった。

なのにどうしてxやらkを使いたがるのかわからない。わからない。そして極めて印象は良くない。かつて日本で流行ったギャル文字を読まされているときのような困惑を感じる。

アルティメットについて:イタリア代表選考会

ぼくは今、ボローニャに向かっている。ナポリからフレッチャで3時間半だ。

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フレッチャというのは写真の電車のことで、日本で言う新幹線みたいなものだ。今日は全国的な鉄道のストライキが実施されているのでどうなるかと思ったが、フレッチャには影響がなくて助かった。

なぜボローニャに向かっているのかというと、明日、パルマでアルティメットのイタリア代表選考会があり、それに参加するからだ。選考会が昼前から行われるので、前泊しないと間に合わないのだ。とりあえず今日のところはボローニャに泊まり、明朝さらにパルマまで北上する。ナポリのアルティメッターは楽ではない。

アルティメットというのはフリスビーを使ったチームスポーツで、まあなんてことはないどマイナー競技だ。「審判がいない」ことが特徴だとか、2028年ロサンゼルスオリンピックの競技種目化を狙うとかで、ちっぽけなアルティメット界は盛り上がっているのだが、ゴルフもカーリングも審判はいないし、なんだかんだで公式戦にはゲームアドバイザーとかいう半分審判みたいな存在がいるので、そこまで画期的だとも思わない。そしてオリンピック競技種目化を狙うのは大変結構なことだが、足もとでは河川敷の公共スペースを勝手に占領し、スパイクで芝生をめちゃくちゃに破壊しているアルティメッターだらけであることを日本フライングディスク協会は認識すべきだと思う。協会としてこの無秩序を放置していていいのか。

話が横道にそれた。ともかくぼくは明日、イタリア代表選考会に参加する。何を言っているんだと思われるかもしれないが、イタリア人でなくともイタリア代表になることができるのだ。最近話題となったラグビーと同じで、いくつか要件はあるのだが、その国の居住者であれば他国人であっても代表になることができる。もちろん、実力があればの話だが。

実を言うとぼくはすでにイタリア代表を経験したことがある。もう5年ほども前のことになるが、たまたま運良く、23歳以下の代表に選ばれた。今となってはいい思い出だが、当時は酷いものだった。その年にロンドンで開催された世界選手権に向けて結成された代表チームだったのだが、合宿を兼ねて前哨戦として参加したオランダの大会では、ようやく成人したばかりのチームメイトに皆でカンパしてアムステルダムの有名な飾り窓地区へ行かせたり、大麻を吸ったり、これが国の代表でいいのかと疑問に思わざるを得ない醜態を晒していた。本番であるロンドンでは滞在費節約のため12人用のアパートに28人で泊まり、当然ベッドが足りないので半数以上が床に寝る始末だった。そんな状態なのでまともにチームが機能するわけもなく、全5日間かそこらで1勝8敗とかだったと思う。初日に1勝したあとは全部負けたわけだ。おまけにぼくは2日目に肩を脱臼して以降出場すらできなかった。負けが続くともともとめちゃくちゃだったチームはますます崩壊していった。コーチの言うことを聞かずに喧嘩になり、試合を途中で放棄してタバコを吸いに行くやつがいたり、コーチはコーチで相手チームに暴言を吐いて大会から追放処分を受けたり、笑えるのだが笑えない。でもそんなことがあったけれど今でも皆元気にアルティメットをしているし、追放されたコーチは今もコーチを務めている。このくらいの代表チームだったならばスノーボーダーの國母氏も伸び伸びやれただろうに。彼は生まれる国を間違えたのかもしれない。

教授に怒られた

来期、ぼくはイタリア言語学の授業を受講するのだが、その教授からぼくの在籍する学科の留学生全員にお怒りのメールが入った。

「すでにT教授やP教授から何度もメールがあったはずなのに、なぜ皆さんが返信されていないのか理解できません」というのだが、一度もメールで連絡されたことがないので返信のしようがない。冒頭から理不尽すぎる。

メールの内容自体は「来週、イタリア語の試験があるので必ず受験してください」というもので、先日P教授から口頭で伝えられていた内容だった。試験といっても成績に関わるものではなく、留学生向けの教育の質を向上させるための試みの一環だそうだ。ただ、P教授の話では試験は任意のはずだったのだが、なんと受験義務があるらしい。何もかもが食い違っている。教授間の連携やら連絡やらが取れていなさすぎる。そのくせ、「試験のため氏名等の個人情報を必ず返信してください。これはマナーの問題でもあるんですよ!!」などと報告や連絡の重要さを強調しながらメールは締めくくられている。呆れる。

大学の入学許可証を依頼するイタリア語メール

 

www.napoli-muori.com

 このブログの最初の記事にも書いたのだが、ぼくはいま通っている大学院に入学するにあたって、個人的に教授にお願いして入学許可証を書いてもらった。イタリア語では"Lettera di idoneita' accademica"とか"Lettera di idoneita' all'immatricolazione"などと呼ばれるレターだ。このレターはイタリアへの留学手続き上、どうしても必要だった。

たとえば日本の大学に在学している学生が交換留学をするのなら、たぶん留学先の大学が正式な受け入れ承諾書みたいなものを発行してくれるのだろうが、ぼくみたいに文字通りの意味で入学する場合や、あるいは交換留学ではない私費留学をする場合には、入学許可証が必要になる。これがないとビザが下りないからだ。もちろん、正式に入学試験を受けて発行してもらうこともできるが、試験を受けるためだけにわざわざイタリアまで往復するなどというのは現実的ではない。なので、受講を希望する学科なり授業なりの教授に個別で連絡をして、許可証を書いてもらうのが手っ取り早い。

そんなわけで、あまりこんな例文を必要とする人がいるとも思わないが、教授に「入学許可証を書いて頂けないでしょうか」とお願いするメール例を書いておく。というか、ぼくが実際に送ったメールをほぼそのまま記載する。ネイティブ監修済みなので問題はないはずだ。

Gent.mo professore Boccaccio,

sono Taro YAMADA, un laureato giapponese in letteratura e cultura italiana.
Le scrivo per chiedere se risulto idoneo al corso di Laurea Magistrale in "(コース名)" e nel caso, se potesse gentilmente scrivermi una lettera di idoneità.

Laureatomi nel 20XX, ho iniziato a lavorare per una compagnia,
ma per approfondire la mia conoscenza sulla cultura italiana ora vorrei iscrivermi al corso dell'anno accademico 2019/2020.
Pertanto, vorrei per favore chiederLe di dare un'occhiata ai file allegati, ovvero il certificato degli esami sostenuti e il certificato di laurea, e di farmi sapere se sono idoneo al corso.
In caso di idoneità, mi servirebbe gentilmente una lettera che lo specifichi perché io possa poi presentarla all'Istituto di Cultura Italiana in Giappone e proseguire con le procedure d'immatricolazione esonerandomi da eventuali esami d'ammissione.

Necessito di sapere se sono idoneo e della lettera da parte Sua in quanto dovrei lasciare il mio attuale lavoro prima di effettuare l'iscrizione, ma non vorrei rischiare di perderlo per poi non risultare idoneo.

Intanto mi scuso per il disturbo e La ringrazio per l'attenzione.

Cordiali Saluti,
Taro YAMADA

 

名前やコース名など都合に合わせて変えればだいたいそのまま使えるだろう。ぼくの場合、一応働いていたので、仕事を辞めてから入学できないとただの無職になるという問題があり、リスクは犯したくないから入学許可を出してくれといったことが書かれているが、 このあたりの理由付けも適当に書き換えれば良いだろう。というか、肝心なのは大学の成績証明書や卒業証明書、場合によってはイタリア語の検定資格などの各種証明書を添付することと、手続き上入学許可証が必要だということなので、それ以外はあまり重要ではない。消しても構わないかもしれない。

イタリア語で失礼のないメールを書くのはなかなか簡単ではないことだと思うので、よかったら参考にしてほしい。

6000匹のイワシ

このところ、イタリアでは「イワシ」が話題となっている。それはぼくの地理の教授お気に入りの話題でもある。どういうことか?

ある朝、4人の若者たちは決意した。マッテオ・サルヴィーニ率いるポピュリストは受け入れられない。もううんざりだ、と。
サルヴィーニはイタリアの政党「同盟」の党首を務める政治家だ。移民への排外主義や、欧州懐疑主義によってここ10年ほどで支持を集め、一時は副首相の地位に就くまで至った。少なからず支持を受けているのだが、一方でフェイクニュースを垂れ流したりするので、反対勢力も極めて多い。でたらめは流す、差別的な表現をする、「ポンペイなんて石ころに税金を注ぐ意味がわからない」などと教養のかけらもない発言をするなど、雰囲気的にはトランプに近いところがある。

そんなサルヴィーニがボローニャの広場で選挙演説をすることになったとき、4人の若者たちは反対集会を行うことにしたのである。サルヴィーニの活動する広場は5000人強しか収容できないので、それならば我々は6000人を集めればいい、と考えたわけだ。そして、イワシのようにコンパクトに強く連帯しようというイメージで、6000匹のイワシの運動をスタートさせた。

Facebookでの呼びかけには多くの人々が呼応し、結果として反対集会には15000匹のイワシが集結した。特徴的なのが、この集会にはどんな政党のシンボルも、旗も掲げられていないことである。ただそこにあるのはイワシだけである。彼らはただ、もう、黙っていられない、耐えられない、うんざりしたのだ、もうやめろ、という気持ちを表明するために集まった。政治的な停滞、混乱、経済危機、長いことイタリアを苦しめている要素にもう倦んだイワシたちの集まりだ。そしていま、その6000匹のイワシの運動が、ボローニャにとどまらずモデナ、パレルモナポリ、ローマなどイタリア各地への広がりを見せている。

教授は言う。「みなさんはご存知ですかね、『イワシ』の運動。あなたたちは新聞を読まないですからね」。教授はいつものように、授業の途中でとつぜん話を脱線させる。「あれは新しい、良いことですね。たった4人の若者が新しい大きな流れを作った。この運動はどこへ行くと思いますか」。なんだか極めて政治的な話をしているが、今回の授業は経済活動としてのツーリズムとそれによる領域への影響なのでイワシもサルヴィーニもほとんど関係がない。どうしてこんな話になるのかがわからない。ただ、こうして気軽にデモだとか集会だとかの話が出るのはいいことだと思う。日本だとあまり馴染みがないかもしれないが、イタリアだとある種の文化祭であるかのように学生の頃からお祭り感覚で集会に参加したりするので、そこまで"重い"話題でもないのだ。だが、そんなお祭りはどこへ行くのか?「私はね、この運動はどこへもたどり着かないと思いますよ」。そうなんだ。せめてどこでもいいからたどり着いて欲しいのだが。「たしかに、あなたたちのような若者が声を上げて、新しい運動を始めたのは素晴らしい・・・。これからこの国の主役となるのは皆さんですからね。率直に言って、私は先が長くないから、この国の変化、行く末を見ることはできないでしょう」。70歳になる教授がいつも以上にどこか悲壮感あふれる話しぶりをするのでぼくは不安になる。「変化には時間がかかるでしょうから。それに、できれば行く末は見たくない。でもあなたたちには頼みますよ。あなたたちがなんとかしなければいけない、若い人はこの国の行く末を見ることになるのだから。だから・・・、いや、もうやめましょう、本題に戻りましょう」。もはや遺言なのか脅迫なのか、なんなのかわからない。「この国の行く末は見たくない」などと断言されてしまうのが辛い。明らかに教授はイタリアの未来を悲観していることをほのめかしながら、我々若者は嫌でもイタリアの行きつく先を見なければいけないという現実を突き付ける。そうして教授は学生たちを不安にさせるとツーリズムの話に戻ってしまった。イタリアはどこへ行くのか?どこへもたどり着かないのか?できればぼくも行く末は見たくない。